
消えた地名
高層マンションが並ぶ芝浦は、かつて「海」だった。
東京・芝浦。JR田町駅・浜松町駅の東側に広がる、高層マンションとオフィスビルが立ち並ぶ街。運河沿いのウォーターフロントとして、今では東京でも屈指の人気エリアの一つに数えられている。
しかし、この街の足元には、地図を数百年さかのぼると、あるものが見えてくる。海だ。
「芝の浦」という名前
芝浦という地名が文献に初めて登場するのは、室町時代、文明十八年(1486年)に書かれた紀行文『廻国雑記』だとされている。当時、この一帯には「芝」という村があり、その海岸を指して「芝の浦」と呼んだ。時代が下るにつれて「の」が省略され、「芝浦」という地名になっていったと伝えられている。
つまり、「浦」という字が示す通り、この場所はもともと、海に面した浜辺そのものだった。
江戸前の魚が獲れた海
江戸時代、現在のJR線路よりも東側、東京湾に面したこの一帯には、実際に海が広がっていた。単なる海岸線ではない。新鮮な魚介類が獲れる、江戸の食を支える漁場だった。いわゆる「江戸前」の魚介は、こうした東京湾沿岸の浅瀬で獲られたものを指す。芝浦もまた、そうした漁場の一つだった。
今、芝浦の街を歩くビジネスパーソンや住民の多くは、自分の足元がかつて漁師の漁場だったことを知らない。オフィスビルの地下やマンションの基礎の下には、かつて魚が泳いでいた海水の記憶が、静かに埋もれている。
港を大きくするために、海が消えた
なぜ、この海は陸地に変わったのか。理由は、東京港そのものを近代化する必要があったからだ。
明治末期から昭和初期にかけて、東京港には大型船が入港できるようにするための大規模な工事が行われた。隅田川の河口部を改良し、船が通れるよう浚渫(しゅんせつ、川底や海底の土砂を掘り取ること)を進める。この工事で出た大量の土砂は、そのまま海へ捨てられたわけではない。近くの浅瀬を埋め立てるために使われた。
つまり、芝浦の陸地は、隅田川から掘り出された土砂によって、人工的に生み出された土地なのだ。
大正八年、海が「芝浦」になった日
そして大正八年(1919年)、埋め立てによって新たに生まれたこの海面地が、当時の行政区であった芝区に編入された。ここに、芝浦一丁目から三丁目という、正式な陸地としての「芝浦」が誕生する。
漁場だった海が、工事の副産物である土砂によって埋められ、行政上の手続きを経て、一つの街になった。今日私たちが「芝浦」と呼んでいる場所は、最初から陸地だったのではない。海が意図的に、段階的に、陸地へと作り替えられた結果なのだ。
見えないところに、海の記憶がある
現在の芝浦を歩いていても、かつてそこが海だったことを示す痕跡は、ほとんど目に見えない形になっている。高層マンションのガラス張りのロビー。整備された運河沿いの遊歩道。倉庫街を改装したレストランやクラブ。どれも、海を埋め立てた土地の上に、まったく新しい街として築かれている。
それでも、地名だけは正直だ。「浦」という一文字が、この土地がかつて海辺だったことを、今も静かに主張し続けている。
東京湾に面した街を歩くとき、私たちが見ているのは、常に「今の東京」だけだ。しかしその足元には、埋め立てられる前の海岸線が、地図から消えたまま眠っている。芝浦という街は、その海の上に建てられた、人工の記憶なのかもしれない。


