
消えた地名
東京から消えた「町の名前」はどこへ行ったのか。
東京の住所から、ある日「名前」が消える。
昨日までそこにあった町名が、地図からなくなる。理由の多くは行政上の整理だ。だが、名前が消えても、その土地の記憶までは消えない。
東京には、今の住所を見ただけでは絶対に分からない「旧町名」が大量に眠っている。六本木ヒルズや東京ミッドタウンが建つあの一帯にも、麻布龍土町、麻布材木町、麻布霞町といった、まったく別の町名が存在していた。
一晩で7つの町が消えた日
その典型が、六本木だ。
現在「六本木」と呼ばれるエリアは、1967年7月1日までは麻布龍土町、麻布材木町、麻布三河台町、麻布今井町、麻布鳥居坂町、麻布東鳥居坂町など、複数の町に分かれていた。この日、これらの町は一斉に統合され、六本木一丁目から七丁目という、たった7つの区画に塗り替えられた。
江戸時代から続いていた町の名前が、行政上の手続き一つで、公式な地図から消えた。
龍土町の名は、元は愛宕下西久保にいた漁師の集落「猟人村」が、元和年間にこの地へ移り住み「龍土」と改称したことに由来すると伝えられている。海から遠く離れたこの土地に、かつて漁師たちの記憶が刻まれていたことになる。今、その場所を歩いているのは、漁とは何の関係もないビジネスパーソンと観光客だ。
同じころ、麻布霞町・麻布笄町・麻布桜田町・麻布三軒家町なども、麻布材木町の一部などと合わせて再編され、「西麻布」という新しい町名に生まれ変わった。
出典: 港区「地名の歴史(麻布地区)」
町の名前が消えてから、さらに数十年後。2003年、旧町名の一つがあった一帯には六本木ヒルズが、2007年にはその隣に東京ミッドタウンが開業した。世界中から人が訪れるこの二つの複合施設は、麻布龍土町や麻布材木町という名前が消えた、ちょうどその場所に建っている。
六本木ヒルズは、誰もが知るテレビ朝日の旧本社があった敷地の再開発でもある。計画発表から開業まで実に17年。この長い年月のあいだ、地元の住民たちは立ち退きの交渉を重ね、古い町の記憶を持つ人々自身が、少しずつこの街から入れ替わっていった。今、六本木ヒルズを見上げる観光客のほとんどは、そこがかつて何という町だったのか、想像すらしない。
オリンピックが、東京の記憶を塗り替えた
なぜこの時期に、これほど一斉に町名が消されたのか。
答えは単純だ。1964年の東京オリンピックである。
1961年、内閣総理大臣の諮問を受けた審議会が「町名地番制度の改善に関する答申」をまとめ、これを受けて「住居表示に関する法律」が1962年5月に公布・即日施行された。海外から人が訪れる首都の住所を分かりやすく整理する。表向きは、それだけの話だった。
だが、その効率化の裏で、江戸時代から数百年続いてきた町の名前が、全国で一斉に姿を消していった。六本木は、そのとき最も大規模に塗り替えられた場所の一つに過ぎない。
東京から消えた町の名前は、なくなったのではない。今日もそこに立つ超高層ビルの、地下深くに眠っている。


