UNDERGROUND TOKYO
渋谷・道玄坂の「道玄」は、坂に出た山賊の名前だという。

消えた地名

渋谷・道玄坂の「道玄」は、坂に出た山賊の名前だという。

東京・渋谷。スクランブル交差点から西へ、道玄坂が上っていく。飲食店、雑居ビル、ライブハウス、ホテル。一日に何十万人もが行き交う、東京でもっとも賑やかな坂のひとつだ。

この「道玄坂」という名前が、いつ、なぜついたのか。有力な説のひとつは、あまり繁華街らしくない。この坂に出没して旅人を襲った、盗賊の名前だというのだ。

坂に住んでいた「大和田道玄」

伝えによれば、鎌倉時代の武将・和田義盛が滅ぼされたあと、その一族の残党である大和田太郎という男が、この坂の途中の洞窟に住み着いた。当時の渋谷は、江戸の外れの、木の生い茂る寂しい丘だった。大和田太郎は、坂を越えようとする旅人から金品を奪う山賊・野盗として振る舞った。物見の老木に登って旅人を見張っていた、とも伝わる。

晩年、彼は仏門に入り、名を「道玄」と改めたという。過去の罪を悔い、見張りに使っていた老木も自ら切り倒した。その道玄の名が、坂に残った――というのが、山賊説のあらましだ。

もうひとつの説

ただし、由来はこれひとつではない。

別の説では、この坂の近くに「道玄庵」という庵(小さな寺)があり、その庵主が徳川家康に土地の由緒書を提出したことから、庵の名が坂の名になった、とされる。こちらは盗賊とは無関係の、穏やかな由来だ。

山賊の道玄と、庵主の道玄。まったく違う二人の「道玄」が候補に挙がっていて、どちらが正しいのか、決め手はない。あるいは、庵主の話に、いつの間にか盗賊の伝説が接ぎ木されたのかもしれない。渋谷の郷土史でも、両説を並べて紹介するのが普通だ。

意味を忘れて、名前だけが残った

はっきりしているのは、現在の道玄坂を歩く人のほぼ全員が、この名前の由来を知らない、ということだ。山賊が出た坂だとも、庵があった坂だとも思っていない。ただの地名、駅の出口の名前、店の住所として使っている。

渋谷は今も「人が金を使いに来る坂」であり続けている。旅人から金品を奪った道玄の時代と、構図だけを見れば、そう遠くない。もっとも、それを意識している人はいない。

地名というのは、由来が忘れられることで、かえって長生きするのかもしれない。意味が消え、音だけが残り、その音を誰もが当たり前に使う。道玄が山賊だったのか僧だったのか、もう誰も気にしていない。坂の名前だけが、七百年、そこにある。