UNDERGROUND TOKYO
なぜ「四谷怪談」を上演する前に、関係者は必ず於岩稲荷へ参るのか。

伝承・都市伝説

なぜ「四谷怪談」を上演する前に、関係者は必ず於岩稲荷へ参るのか。

東京・新宿区左門町。四谷三丁目の駅から歩いて数分の、マンションと雑居ビルに挟まれた狭い一角に、小さな神社がある。於岩稲荷田宮神社。ここには、奇妙な慣習が今も生きている。歌舞伎、映画、テレビで「四谷怪談」を上演・撮影するとき、主演俳優からスタッフまでが、そろってこの神社に参拝しに来るのだ。

参拝を怠ると、公演中に事故や怪我が起きる――。演劇や映像の世界では半ば常識として語られる話で、実際に長年守られてきた。ただの縁起担ぎと片付けてもいいのだが、その先を調べていくと、話は少しねじれてくる。

祀られているのは、「呪う女」ではない

「お岩さん」と聞けば、夫に裏切られ、毒を盛られて顔が崩れ、幽霊となって復讐する女性を思い浮かべるだろう。四代目鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の、あのお岩だ。

しかし、この神社が祀っている田宮於岩(たみや・おいわ)は、まったく別の人物である。江戸時代初期、この地に屋敷を構えた御家人・田宮家の娘。薄給で傾いた家計を、婿に入った夫とともに立て直し、屋敷の稲荷を熱心に信心した。1636年に世を去ったと伝わる。近隣の人々は、田宮家が持ち直したのは彼女の信心のおかげだとして、その稲荷を「お岩稲荷」と呼ぶようになった。ご利益があると評判になり、町人にも参拝が開放された。

つまり実在のお岩は、家を救った働き者の妻だ。恨みも祟りも、記録のどこにもない。

芝居が、正反対の人物を作り上げた

彼女の死からおよそ200年後の1825年、中村座で『東海道四谷怪談』が初演される。不倫、毒殺、惨殺、そして復讐。南北が描いたのは、田宮家に実在した貞淑な妻とは似ても似つかない女だった。名前と屋敷の場所だけを借りて、中身はまったくの創作である。

芝居は大当たりした。そして皮肉なことに、当たれば当たるほど、人々は「本物のお岩さんの祟りが怖い」と言って、この稲荷に参拝するようになった。虚構が有名になったことで、実在の人物への信仰がかえって強まったのだ。

明治に入って火災で社殿が焼け、神社は中央区新川へ移った。四谷の旧地には小さな祠が残り、昭和初期、そこに日蓮宗の陽運寺が建てられて信仰を引き継いだ。結果として今、左門町の同じ通りには、「田宮神社」と「陽運寺」が道を挟んで向かい合っている。どちらもお岩ゆかりの地を名乗っている。

参っているのは、どちらのお岩か

上演前の参拝という慣習が、いつ、誰によって始まったのかは、はっきりしない。伊右衛門役の者は参拝してはいけない、という細かな伝えまであるが、これも出所は曖昧だ。

確かなのは、慣習が今も途切れずに続いているということだけだ。そして参拝する俳優たちは、たいてい「お岩さんに一言断ってから演じる」と語る。

その「お岩さん」とは、いったい誰なのだろう。家を救った実在の妻か。それとも、南北が舞台の上で作り出した、顔の崩れた復讐者か。手を合わせる相手が、史実の人物なのか創作されたキャラクターなのか、おそらく参拝する本人にも区別はついていない。二人はもう、同じ名前の中で溶け合っている。

だからこそ、断りを入れずに演じるのが、なんとなく怖いのだ。