
伝承・都市伝説
東京には「埋めてはいけない井戸」がある、と言われるのはなぜか。
古い家を壊す。庭を更地にする。そこに、使われなくなった井戸がある。
普通なら埋めれば終わりに見える。だが日本には、井戸を埋めるとき「息抜き」をする、神事を行う、といった風習が今も残る地域がある。
そして一つの噂が生まれる。「井戸を雑に埋めると、よくないことが起きる」。
駒沢公園に、今も囁かれる井戸
誰もが知るあの駒沢オリンピック公園にも、こうした噂は残っている。園内のどこかに「呪われた井戸」があり、そこの水を汲みに行くと不幸が訪れる、と言われているのだ。
真偽を確かめる術はない。だが1964年の東京オリンピックで世界中の目が注がれたこの公園に、今もこんな話が生き続けているという事実そのものが興味深い。整備され尽くした都会の公園でさえ、地面の下には得体の知れないものが埋まっている、という感覚を、私たちはどこかで捨てきれていない。
井戸は、単なる穴ではなかった
水道がない時代、井戸は生活そのものだった。飲む、料理する、洗う。人間が生きるための水が、地面の下から湧き出てくる。
だから井戸は、単なる設備以上の意味を持った。水神信仰と結びつき、丁寧に扱う文化が生まれた。
「息抜き」の正体
古い井戸を埋める際、管や竹を一本残すという風習がある。「井戸の息抜き」だ。地域や施工者によって考え方は異なり、全国一律の決まりではない。
だが、この奇妙な行為が都市伝説を強くする。なぜ、埋めた井戸に「息」が必要なのか。
東京では古い住宅が壊され、新しい建物が建つ。地面を掘ると昔の井戸が見つかることもある。そして「井戸を埋めた後から事故が続いた」という怪談が生まれる。因果関係を証明できなくても、人は二つの出来事を結びつける。
科学的に「祟る井戸」を確認することはできない。だが、井戸を特別な場所として扱ってきた人間の記憶は、確かに存在する。井戸に残っているのは霊ではない。水とともに生きていた時代の、人間の恐れそのものだ。
タブーの裏には、実務的な理由がある
もっとも、この風習には信仰だけでは説明できない側面もある。
井戸の底は、長年にわたって水が通り続けてきた場所だ。蓋をして完全に密閉すると、地中に溜まった水やガスの逃げ場がなくなる。その真上にそのまま建物を建てれば、地盤が緩み、将来的に沈下を起こす恐れがある。
「息抜き」とは、埋め戻す井戸の底から地上まで、パイプや竹筒を一本通しておく作業だ。水やガスを外へ逃がし、土地を乾燥させて地盤を安定させる。つまり息抜きは、水神への祈りであると同時に、極めて実用的な地盤対策でもある。信仰と実務、両方の理由が重なったからこそ、この風習は今日まで生き延びてきた。
井戸に宿るとされた三柱の神
日本の民間信仰では、井戸にはそれぞれ固有の水神が宿るとされてきた。祀られるのは水波能売神、於加美神、罔象女神など、水にまつわる複数の神々だ。
人々は正月には鏡餅を供え、井戸水が涸れず清らかであるよう祈った。井戸を使わなくなるときには、感謝を込めた祓いの儀式を行い、水神の怒りを買わないよう配慮した。
水を神格化するという発想は、水が生死を直接左右する希少な資源だった時代には、ごく自然な感覚だっただろう。井戸を粗末に扱ってはいけないという教えは、目に見えない神への恐れであると同時に、水という資源そのものへの敬意でもあった。
次にあの公園を歩くとき、足元にどんな井戸が眠っているか、少しだけ想像してみてほしい。


