
裏歴史
サンシャイン60が建つ場所は、かつて「刑場」だった。
東京・豊島区東池袋。サンシャイン60を中心とするサンシャインシティは、平日も週末も人で埋まる。水族館、展望台、専門店街。年間を通じて、東京でもっとも来場者の多い商業施設のひとつだ。
このビルが建っている場所には、戦後、巣鴨プリズンがあった。戦前の巣鴨刑務所を、占領下のGHQが接収して使った施設で、戦争犯罪に問われた人々が収容されていた。そして、その一角には刑場があった。
1948年12月23日
東京裁判でA級戦犯として死刑判決を受けた7名の絞首刑が、この場所で執行されたのは、1948年12月23日の未明のことだ。東條英機を含む7人。歴史の教科書に載っている出来事の、物理的な現場が、いまのサンシャインシティの敷地内にある。
日本が独立を回復したあと、巣鴨プリズンは東京拘置所となり、1971年に葛飾区小菅へ移転した。広大な跡地は再開発され、1978年、サンシャインシティが開業する。サンシャイン60は、当時、日本一高いビルだった。刑務所の跡地に、日本の頂点となる超高層ビルが建った。
碑には、一行しか書かれていない
サンシャイン60のすぐ隣に、東池袋中央公園という、ごく普通の区立公園がある。ベンチがあり、木があり、子どもが遊んでいる。
その一角に、黒っぽい低い石碑が立っている。刑場があったとされる位置だ。碑の正面に刻まれているのは、「永久平和を願って」という一文だけ。誰が、いつ、何人、どういう経緯で――といった説明は、ほとんど書かれていない。事件の重さに対して、言葉は極端に少ない。
公園を訪れる人の大半は、この碑の前を素通りする。ベンチで昼食をとる会社員も、犬を散歩させる住民も、ここが何の跡地なのかを知らないことが多い。知らせるための表示は、あの一行の碑しかない。
上書きはされたが、消されてはいない
跡地の使い方として、これを非難する話ではない。刑務所の広大な敷地を、都市の中心で遊ばせておくことは現実的でない。再開発は理にかなっている。
ただ、事実として、東京でもっとも賑わう場所のひとつは、7人が処刑された場所の上にある。そして、そのことを伝えるのは、公園の隅の、一行だけの碑だ。摩天楼はこの土地の記憶を上書きしたが、完全に消し去ることはしなかった。小さく、目立たない形で、それは残されている。
展望台に上る人の何割が、真下の公園に何があるかを知っているだろうか。おそらく、ほとんど知らない。碑は、知ろうとした人にだけ見える場所に、静かに立っている。


