UNDERGROUND TOKYO
東京には、上った先に「何もない階段」がある。

珍スポット

東京には、上った先に「何もない階段」がある。

夜、住宅街の路地を歩いていて、コンクリートの階段を見つけたことはないだろうか。

上へ、上へと続いている。街灯もある。手すりもある。誰かが金を出して、わざわざ作った階段だ。

なのに、上りきったところに何もない。

扉もない。塀もない。建物の輪郭すらない。ただ雑草と暗闇が、階段の続きのように広がっているだけだ。

これは廃墟でも心霊スポットでもない。東京のどこにでも転がっている、ただの「なれの果て」だ。

階段は嘘をつかない。周りが嘘みたいに消えるだけだ

階段というのは正直な構造物だ。人間の脚力に合わせて、律儀に一段ずつ高さを刻んでいく。そこに嘘や誇張は入り込まない。

だから、行き先のない階段を見たとき、私たちは無意識にこう思う。「何かがおかしい」。

だが本当におかしいのは階段ではない。階段の先にあったはずの「何か」の方だ。

家が解体される。持ち主が変わる。土地が分筆される。区画整理が入る。道路計画で敷地の形が変わる。理由はいくらでもある。そのたびに、階段の先にあった生活だけが消えていく。

階段本体を撤去するには、当然コストがかかる。コンクリートを砕いて、運び出して、処分する。一方、そのまま放置しても誰も困らない。だから、意味を失った階段ほど、皮肉なことに一番長生きする。

つまりこれは呪いでも都市伝説でもなく、「壊す理由がないものは残る」という、東京でいちばん身も蓋もない現実だ。

こうした「意味を失った建築物」には、実は名前がある。芸術家の赤瀬川原平らが提唱した「トマソン」だ。名前の由来は、当時読売ジャイアンツが高額で獲得した助っ人選手、ゲーリー・トマソン。四番打者として期待されながら空振りを重ね、戦力としてはほぼ役に立たなかった。その「立派なのに役に立たない」姿になぞらえて、街の無用物にこの名がつけられた。

そして1972年、赤瀬川原平らが東京・四谷で最初に発見した記念すべき「トマソン第一号」は、ほかでもない、上り下りできるのに上った先に出入り口がなく、降りてくるしかない階段だった。今、あなたが見ている光景は、半世紀前からこの街に存在し続けてきた現象そのものなのだ。

東京という街そのものが、無数のスリバチでできている

もう一つ、地形の話をしておきたい。

東京の都心は、武蔵野台地が東京湾に向かって突き出した先端にある。この台地を、大昔から流れる川が何本も削り続けてきた。結果として、丘と谷が異常に細かく入り組んだ地形ができあがった。研究者はこれを「スリバチ地形」と呼ぶ。すり鉢のように、三方を丘に囲まれた窪地のことだ。

つまり東京は、平らな土地に建てられた街ではない。無数の丘と無数のすり鉢が組み合わさった地面の上に、そのまま蓋をするように都市化した街なのだ。

階段や急な坂道は、この地形を人間が力ずくで攻略した跡だ。行き先のない階段の多くは、そうした丘の斜面にへばりつくように建っていた家々への、生活動線だった。

家が消えても、丘は動かない。斜面も消えない。だから階段だけが、意味を失ったまま、地形にしがみつくように残り続ける。

出典: db.10plus1.jp「スリバチ観察から東京の何が見えたか?」

段数さえ合わない階段もある

行き先を失うだけでは飽き足らず、階段そのものが「謎」として語られている場所もある。

文京区弥生二丁目、通称「お化け階段」。上るときは40段、下るときに数えると39段になる、という噂で有名だ。

区の説明はいたって現実的だ。階段が途中で緩やかに湾曲していること、幅が変化していること、一段目が低くて踏み間違えやすいこと。種を明かせば、地形と構造が生む単なる錯覚に過ぎない。

それでも、この階段は何十年も語り継がれ、ナニコレ珍百景などのメディアでも取り上げられ続けている。

理由は単純だ。人間は、説明のつく不思議より、説明のつかない不思議の方を、圧倒的に長く覚えていられる生き物だからだ。

出典: 文京区「お化け階段」

上るかどうかは、あなた次第だ

東京には、目的を失ったまま立ち続けている構造物が無数にある。行き先のない階段は、その中でもいちばん分かりやすい標本のようなものだ。

次に裏路地で、意味のわからない階段を見つけたら。

上ってみるといい。何もないことは、もう分かっている。

それでも上るのをやめられないとしたら――理由が知りたいのは、階段の先ではなく、たぶんあなた自身の方だ。