UNDERGROUND TOKYO
なぜこの坂は、江戸時代から「幽霊坂」と呼ばれ続けているのか。

心霊スポット

なぜこの坂は、江戸時代から「幽霊坂」と呼ばれ続けているのか。

東京・港区三田四丁目。この場所には、江戸時代から今日まで、ずっと同じ名前で呼ばれ続けている坂がある。「幽霊坂」。正式な地名として、東京都の地図に今も記載されている坂の名前だ。

普通なら、こういう不穏な通称は時代とともに消えるか、行政の手で穏やかな名前に置き換えられる。しかし三田の幽霊坂は違う。江戸から明治、大正、昭和、そして令和の今に至るまで、誰もこの名前を変えなかった。あるいは、変えられなかった。

由来は、実は分かっていない

「幽霊坂」という名前を聞くと、何か具体的な怪談――誰かが死んだ、誰かの霊が出た、という事件を想像するかもしれない。しかし、記録を調べていくと、拍子抜けするような事実に突き当たる。この坂がなぜ「幽霊坂」と呼ばれるようになったのか、正確な由来は分かっていないのだ。

有力とされているのは、もっと即物的な説だ。この坂の周辺には、江戸城の拡張に伴って移転させられてきた寺院群が、道の両脇にずらりと建ち並んでいた。寺が並ぶ道というのは、当然ながら墓地も多く、木々も生い茂る。昼間でも薄暗く、人通りも少ない。「昼でも幽霊が出そうなほど暗い場所だった」、あるいは「それほどに寂しい場所だった」――そうした体感が、いつの間にか坂の名前そのものになった、というのが一つの見方だ。

つまり、具体的な事件があって名付けられたのではなく、その場所の「雰囲気」そのものが名前になった可能性が高い。幽霊を見た人がいたから幽霊坂になったのではなく、幽霊が出てもおかしくないと誰もが感じる場所だったから、幽霊坂になった。

東京には「幽霊坂」がいくつもある

さらに奇妙なことに、「幽霊坂」という名前の坂は、東京に一つではない。千代田区の秋葉原・神田周辺にも、同じ名前を持つ坂が存在する。場所も歴史的背景もそれぞれ異なるのに、独立して同じ「幽霊坂」という名がついている。

これは偶然ではなく、江戸の町人たちが、寺院や墓地に囲まれた薄暗い坂道に対して、共通の感覚で名前をつけていたことを示しているのかもしれない。江戸時代、東京にはこうした「シャレた名前」「不穏な名前」を持つ坂が数多く生まれた。単なる行政上の住所ではなく、そこを歩く人間の実感が、そのまま地名になっていた時代の名残だ。

名前だけが、今も残っている

現在の三田四丁目を歩いても、江戸時代の寺町の面影を直接見ることは難しい。周囲にはマンションやオフィスビルが建ち、坂道自体も舗装され、街灯もある。かつてのような「昼でも暗い」場所ではない。

それでも、「幽霊坂」という名前だけは、地図の上に生き続けている。行政による住所整理が進み、東京の多くの旧町名が消えていった中で、この坂の名前は――正式な地名ではないにせよ――今も呼び名として使われ続けている。

なぜ、これほど不穏な名前が、これほど長く残ったのか。答えは単純かもしれない。誰も、あえてこの名前を変えようとしなかったからだ。そして、変えようとしなかったこと自体が、この坂の記憶――かつてそこが本当に薄暗く、寂しい場所だったという記憶――を、今日まで運び続けている。

坂そのものはただの舗装道路になった。しかし名前は、そこにかつてあった暗闇の記憶を、今も背負ったままだ。